「ドイツ観念論のページ」・「哲学と批評」のBBS



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takin  題名:ジャンクメールを削除しました
投稿日 : 2009年4月19日<日>12時24分

しくしく
しばらく留守にしていましたら、ジャンクメールがいっぱい!
ようやく削除しましたので、今後ともよろしくお願いします。

(えっ、ジャンクメールの方が役に立っていた?
 ・・ハハ、何をお戯れをおっしゃられますやら・・・)

http://taki.cool.ne.jp/  

大野  題名:初めまして
投稿日 : 2008年4月2日<水>12時26分

アイコン
 takin先生の文章は、この種のものの中ではもっともに親切に書かれてると思うのですが、どうしてもわかりません。なぜわからないか考えたところ「措定」という頻出語句の意味がわからないからだと判明しました。
 辞書を引いたら「ある事物・事象を存在するものとして立てたり、その内容を抽出して固定する思考作用」???立てるってなんだ?という感じです。
なにとぞご教示ください。 

Res:takin 
投稿日 : 2008年4月6日<日>20時53分

お返事が遅れてしまいすみません。

大野さんの問題意識とかみ合うかどうか分かりませんが、感想を述べますと:

1) おっしゃるように、現実化されたパロールは有限で、可能態のラングは無限です。
同様に、ドイツ観念論では措定される前の自我・絶対者は無条件に無限ですが、自己
措定されたものは、この無限との対比では有限です。
そこで、絶えざる自己措定も可能となります。むろんこの有限に措定されたものは、
そのエレメントにおいては無限ですが(例えば、感覚的世界が措定されるときには、
無限に広がる感覚世界が展開することになります)。

2) ご存知のように、ソシュールの言語学では、各言語の意味は各言語そのものが持って
いるのではなく、言語体系の中での各言語の位置によって、つまり各言語相互の関係に
よって、決まることになります。言語とは示差の体系だと言われます。
私としては、このような発想はヘーゲルも取り入れており、それがいわゆる弁証法的運動
の一つの契機をなしているのではないかと、考えています。彼は、「赤色は、黄色や青色
が対立するかぎりにおいて存在する」と述べています(『エンチクロペディー』、42節の
補遺1)。

むろん当時は、「示差の体系」などという考えはなかったのですが、マイモンと彼を受けた
フィヒテの「相互概念」を、ヘーゲルは拡張して行ったのではないか、と考えられます。
(マイモンはどこかで、「すべての概念は相互概念である」と述べています)。

3) ただソシュールは、近代的な世界観の枠内で、「常識的に」発想しましたから、ラングを
パロールにするのは主体である各個人です。言語自身が主体的な運動を展開するわけでは
ありません。
しかし、若きヘーゲルはイェナ期体系草稿群(1803-1806年)において、「言語」「名前」
などを論じているのですが、言語を精神の発展段階の一つとして扱っています。言語自体が、
精神の行う主体的運動の一局面となっているわけです。言語を個人の外部に存在する道具
のようなものとしては、考えていません。
また後年のヘーゲルの「概念」は、自己展開する実体=主体ですが、この概念は言語と
親和性をもっています。つまりヘーゲルにとっては、概念の具体的な定在形態が言葉で
あり、「概念が存在するときには、概念はまた正しい言葉をも持つであろう」(『精神現象学』
ズーアカンプ版、248ページ)というのは、彼の信念でもあったでしょう。

このように見てくると、ドイツ観念論にとってはソシュールの構造主義的言語観は、少し
土俵が小さすぎるようです。
 


Res:大野 
投稿日 : 2008年4月3日<木>18時35分

 丁寧なご説明ありがとうございます。全くちんぷんかんな状態から、え?ここが変じゃないという段階に来ましたから、私としては大変な進歩です。
 なお前回こちらの知識、理解力を全く明示しなかったので、大変お答えにくかっただろうと反省いたします。じつは私はソシュールの構造言語学はある程度わかるので、takinさんも()で自己批判しておられますが、日本語の例は大変不適切だと思われます。なぜなら日本語は構造として、第一義的に私(主体)とは別に可能態として存在しており、そこに主体である私が、具体的な言説として現実化するわけで、これは構造としての可能態と行為主体という二つの要素が必要になります。また可能態としてのラングは原理的に無限であるのに対し、現実化されるパロールは常に有限です。
 その下にある「世界が世界する」というご説明は、何となくイメージとしてはわかる感じがするんですが、上の例との絡みでいいますと、可能態として無限の言語構造が、一瞬のうちに有限であるこの世界にすべて出現する、という感じでありまして、これは無理なんじゃ無いでしょうか?
 もしかすると素っ頓狂な誤解をしているかもしれません。ご容赦ください。 


わいわいRes:takin  題名:「措定」の意味について
投稿日 : 2008年4月2日<水>21時24分

当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
(なお、私は教師はしていませんので、先生ではなくて、さん付けで結構です)。

さて大野さんのご質問である、「措定(setzen)」の意味ですが、これはなかなか
難しい問題です。今私の理解している範囲内で申しますと:

1) 辞書的な意味は、おっしゃる様に「ある事物を、存在する対象とし立てること」
です。そしてフィヒテからヘーゲルまでのドイツ観念論者が、「措定」という言葉を
使用する際にも、こうした意味が元になっていることは、確かだと思います。

2) しかし、フィヒテが「措定」を使いだしたときには、この言葉に独自の哲学的
意味を持たせています。そしてこの哲学的意味が、その後のドイツ観念論において
継承されていきます。

3) とはいえ、ドイツ観念論の著作中では、「措定」が軽い意味で(例えば「登場する」
とか「私たちが対象とする」という意味で)、使われる場合も多いようです。つまり、
「措定された A は・・・」という文が、「登場してきた A は・・・」とか「私たち
が対象としている A は・・・」ということを、表している場合です。

そこで問題となるのは、上記の 2 の場合でしょう。つまり、「措定」のドイツ観念論
の本義における意味です。私見では、以下のようになります:

a) ドイツ観念論では「措定」とは、精確にいえば「自己措定(sich setzen)」に他
なりません。つまり精神的なものであれ物質的なものであれ、ある何かが、それ自身を
現存する対象とすることです。結局、ある何かは現存するようになります。
このことを伝統的な用語を使って表現すれば、「ある対象が、自ら可能態(可能的な
存在者)から現実態(現実に存在するもの・現存・実存)に転化すること」です。

そのような例として、日本語を取りあげてみましょう。日本語は英語や中国語などと
共に、確かに存在しています。しかしその存在は、例えば当掲示板に書き込みがない
ときには、当掲示板においては可能態に止まっています。誰かが書き込むことによって、
日本語は自己措定して、現実態へともたらされるわけです。
(なるほど、書き込んで現実態にもたらすのは日本語とは別の「誰か」ですから、常識的
には(つまり言語そのものを、実体=主体化しなければ)、この例は自己措定の例として、
不都合な面がありますが)。

b) ドイツ観念論においては、自己措定する本体は自我や絶対者です。これらは簡単に
いえば、可能態としての世界全体です。したがって「自己措定」は、いわゆる「世界が
世界する」事態にも通じるかと思います。

c) ではなぜ、世界(自我や絶対者)は「自己措定」などというものをするのか、という
ことですが、とりあえず拙稿の「自我(フィヒテ的意味での)」を、ご覧いただければと
思います。
http://taki.cool.ne.jp/di/Te/sa.htm#ich

http://taki.cool.ne.jp/  



takin  題名:返信は、書込の下側に表示されます
投稿日 : 2008年4月3日<木>14時28分

やあやあ
当掲示板では、書込への返信は、書込の下側に表示されるようになっています。
よろしくお願いします。

http://taki.cool.ne.jp/  

takin  題名:新春のお慶びを申し上げます
投稿日 : 2008年1月1日<火>00時03分


当サイトも少しずつではありますが、成長してきました。これも皆様の
ご声援のおかげと感謝にたえません。
本年もよろしくお願いいたします。

今年の抱負は・・・えぇっと、去年のご挨拶では、ちょっと大風呂敷を
広げすぎまして、風呂敷が大きすぎるのも何だなと、平凡な感想で
終わってしまいました。

そこで今年は、謙虚にできるものからやって行こうということで・・
(といいますか今は、対物レンズ 65 mm のフィールド・スコープで、
100倍超に挑戦すべきかどうか決心がつかず、懊悩しているのでした。
関心がおありの人は、
http://www.birdforum.net/archive/index.php/t-94451.html
のtakin投稿を、ご覧下さい)

http://taki.cool.ne.jp/index.html  

takin  題名:当BBS がいつの間にやら復活!
投稿日 : 2007年12月31日<月>21時13分

ばんざーい
突然消えてしまったこのBBSが、いつの間にか復活しています。
しかも、広告の自動書込みが、防止されての再登場です。(→「画像の
4文字を入力してください」のところ)

そこで、またこの BBS を、正規の(というほどのもんでも・・)書込み
板にしたいと思います。

10月に新しく作ってしまった BBS
http://9015.teacup.com/takin/bbs
は、予備といいますか、第2といいますか、そのような位置づけで存続と
いうことに・・・

http://taki.cool.ne.jp/index.html  

takin  題名:驚愕の朝米外交か? 8/10 産経新聞の朝刊記事!
投稿日 : 2007年8月11日<土>03時37分

がーん
 夜のコンビニで、ふと、売れ残った産経新聞を見ると、第一面トップに:
     北「米の親密なパートナーに」

 こ、これは !? というわけで、購読したのですが、記事の書き出しは:
「北京の中国戦略関係筋が産経新聞に語ったところによると、北朝鮮の
金成日総書記は昨年 10 月の核実験後、ブッシュ大統領にメッセージを
送り、『朝米関係を正常化し韓国以上に親密な米国のパートナーになる』
と伝えた」。

 その後記事は、現在に至るまでの米・朝・中・韓の動きを解説しています。

 これが事実だとすれば、「ニクソン・ショック以上の衝撃だ」ということに
なり、「東アジアの戦略バランスを崩」します。中国は、こうした北朝鮮の
やり方が腹にすえかね、産経記者にリークしたのでしょうか。

 完全な手詰まりに(なるべくして)なっていた日本外交は、さらに右往左往
の状態に・・・いや、死中に活を見出してくれるのかもしれません。また、もし
「米国主導で南北統一への動きが加速する」事態になれば(残念ながら、その
可能性は低いと思いますが)、拉致問題にも展望が開けることになります。

 ところでやっぱり総書記は、かつての流行語で評せば、「役者やのぅ〜」という
ことでしょう。
 本BBS で「ついに核実験・・残る疑問」( 2006/10/10)と題して:
 ジャーナリズムは、総書記がアメリカとの直接対話を求めることを、何の疑問も
感じず報道しているが、これはおかしいのではないか。彼にとって地合いのいい
6 カ国協議が行われている状況下では、ふつうは考えられないことだから――
と書きました。
 すると総書記は、こうしたシナリオを描いていたために、直接対話を求めたの
でしょうか。

 とにもかくにもこの記事は、本当だとすれば大変な特ダネであり、今後の展開が
待たれます。
 
http://taki.cool.ne.jp/  

takin  題名:ファーバーカステル、もう一つの伝説?
投稿日 : 2007年6月27日<水>22時04分

わいわい
日本でもファンの多いドイツの筆記具メーカー、ファーバーカステル。その
オーナーの同伯爵は、2005年のある日、同社の鉛筆144本を(1ダースx1ダース
ということでしょう)、彼のお城の塔から投げてみたそうです。
鉛筆は 30 m 落下して、硬いアスファルトに落ちましたが、そのうちの1本として、
芯が折れたものはなかったということです。(The Economist, 2007.3.3, p. 68)

慶賀すべきことであり、同社の鉛筆の芯が、木のさやにしっかりと納まって
いることの、証明ではあります。が、同社の鉛筆は軽く作られています。
そこでもし、他社の鉛筆が 30 m の落下に耐えられなかったとしても、それは
必ずしも――

というわけで、各社の鉛筆の、
重さ、長さ(先端のドーム状の部分は入れない)、太さ(平行な辺間の距離)
を比べてみることにしました。
(なお、重さの 0.1 g、長さの 1 mm、太さの 0.1 mm は、誤差の範囲内)。
芯の濃さは HB に統一し、ファーバーカステル社のものが、削られた状態で
売られていたので、すべて同程度に削りました。

ファーバーカステル(カステル9000、150円):3.5 g、172 mm、6.7 mm
ステッドラー(Mars Lumograph、140円):   4.0 g、173 mm、6.8 mm
トンボ鉛筆(MONO 100、140円):       4.1 g、181 mm、7.1 mm
三菱鉛筆(Hi-uni、140円):          4.7 g、176 mm、7.3 mm


こうしてみると、案外重さには差があります。「Hi-uni」は「カステル9000」より
34 % 重いのですから、たいぶ不利です。空気抵抗や風による落下速度の減少も、
軽い「カステル9000」にはより大きく働きそうです。
でも数字を並べて、物理的に考察するなどというのは、野暮というものかも
しれません。「お城の塔から投げても」で、すでに新たな伝説は成立している
のでしょう。

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takin  題名:続々・お濠端の対決
投稿日 : 2007年6月25日<月>22時34分

やあやあ
玉藻公園(高松城跡の公園)のお濠には、タイなどの海魚が、餌付けされています。これは
全国的に(世界的に?)珍しいといえます。説明が必要でしょう:

海岸近くの高松城は、三大水城の一つとかで、堀には海水が引かれています(しかしそれで、
タイさんが居ついてくれるほど、自然は甘くない!)。
水門には、海からのゴミを防ぐべく、網が張られているのですが、魚の稚魚(あるいは卵)が、
海水と共に堀に入ってくるようなのです。で、堀で大きくなった稚魚が、海に戻ろうとしても、
網の目をくぐれないということが、起きたのでした。

そして、堀に泳ぐ魚を池の鯉に見立てて、餌をやるということが行われだします。すると
お魚さんたちもこれに的確に感応して、今では餌場に人が立つだけで、い集するのでした。
しかしまだプロの鯉とはちがい、口を水面から突き出してパクパクさせて、おねだりをする
までにはなっていません。これは今後の課題でしょう。

自然(?)の中の魚は、やはり料理屋の生簀の魚や、スーパーなどでみる死んだ魚とは、
全然ちがいます。彼らを、東独ツアイスイエナの業物「DEKAREM 10x50」で見るとどうで
あろうか――
というわけで、梅雨時の曇り空の下、ニコンの優等生「8x30E II」も一緒に、私はまたお濠端に
佇んだのでした。(最近では、顔と双眼鏡を、チケット売場のおねえさんに覚えられてしまい、
チケットを買おうとすると、向こうは笑いをかみころすんですね・・)

DEKAREMは、全体的には穏やかなパステル調の色彩だと思うのですが、「栗林公園」の
書込み(2007/5/29)で紹介しましたように、「心を騒がせる」絵を提供してくれます。
今回も、お魚さんたちの透明感のある描写は、素晴らしいものでした。目のまわりの青紫色が、
輝いています(「E II」では „きれい”、ツアイス「ダイアリート 8x30 B/GA T*」では“鮮やか”
という感じ)。
広角の画面は開放感があって、魚に生命感があります。(同じく広角とはいえ、「E II」では
画面が、双眼鏡の視野内に納まっているような感じ)。

というわけで、大満足となったのですが――
かの西独ツアイスの「10x50」も見てみたいなと。そして、「情報量が多くて目が痛いような」
とか言われる、ツアイス最新の FL シリーズもいつか・・・欲には(いえ、向上心・探究心)、
限りがないのでした。

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takin  題名:キーボード「HHKB Professional2」について
投稿日 : 2007年3月29日<木>00時32分

ばんざーい
ここ数年、キーボードは東プレの「Realforce 101」(英語キーボード)を、
満足して使っていました。
静電容量無接点方式のキースイッチが採用されており、世評の「軽くて静か、
最高の打鍵感」というのは、うそじゃないと思いました。
その趣はといえば:
あたかも御殿女中の方に、お茶を供せられるような・・見事な裾さばきに
見とれているうちに、襖のかげに行ってしまわれ、ただ足袋の白さが印象に
残り・・・

とはいえ、東プレの英語キーボードはテンキー付ですから、狭い机を占領
してしまいます。そこで、同じ方式の PFU 製「HHKB Professional2」を、
購入しました。
これの利点は(周知ではありますが):
・わずか A4 用紙の横半分の大きさ。片付けるときにも、場所をとりません。
しかもキーの大きさは、標準的なキーボートのものと変わらないです。
・基本的にホームポジションから離れることなく、すべての打鍵が可能。
ファンクションキーF1〜F12 は、Fn キーを押しながら数字キーを押します。
・エスケープキーは一段低くなっており、バックスペースキーもそのように
設定が可能で(後述)、これは楽です。

打鍵感については:
・小指で打つキーは、「Realforce 101」が 30g でしたが、「Professional2」
は 45g です。しかし、打鍵しているときには、その差はほとんど感じません。
・「HHKB Lite2」とも共通な、すこし凝り固まったような窮屈さがあります。
これはキーの動きに、ほとんどアソビがないためかと思います。良くいえば、
タイトな戦闘服に身をつつんだようなといいますか・・
でも打鍵感そのものとしては、私には東プレの方が、少しさんざめくような
音もふくめて、いいです。(「Professional2」はさらに音がせず、また低音
です)。

「Professional2」には、後部に DIP スイッチなるものがあり、キーボードの
モードやキー割り当てを、変更できます。初期設定では、スイッチ 1〜6 の
すべてがオフになっています。
私の場合オンにしたスイッチは:
・1 ―― Lite 拡張モードにする。
半角の「*」などが、ひらがなの入力モードでもすぐに打てるようになります。
・3 ―― デリートキーをバックスペースキーにする。
バックスペースキーが、他のキーボードよりも、一段低くなります。
・4 ―― 左ひし形キー(最下段のスペース・キーの左側のキー)を Fn キーに
する。
Fn キーを、ホームポジションのまま左手で打てるようになります。最上段右端
のキーが、Fn キーとの併用で、Delete キーになります。また、もとの Fn キー
にもう1つ Fn キーが追加されたことになり、なにかと便利です。

なお、PFU に問い合わせたところ、左と右のひし形キーは、初期設定のHHKモード
では、何の働きも持ってないとのことです。

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しくしくRes:takin  題名:その後の使用感_2
投稿日 : 2007年6月25日<月>13時58分

「HHKB Professional2」 の打鍵音は「さらに音がせず」と書きましたが、スペースキーだけは
大きい「ゴトッ」という音がします。

また、数字キーの「8」を打つと、「チッ」と鳴ります。そして、数字キーの場合、それぞれ微妙に
打鍵音が違うような・・・
(つまり、キーボードとしての完成度が今ひとつかも?)
 
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Res:takin  題名:その後の使用感
投稿日 : 2007年6月15日<金>21時01分

HHKB:カーソルキーをホームポジションのまま操作できるのは、本当に便利
です。
しかし、キートップが少し滑りやすいような気がします。

東プレ:安定して、落ち着いた打鍵感には、替えがたいものがあります。

結局、気分転換をかねて、両方を交互に使用しています。
 
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takin  題名:続・お濠端の対決
投稿日 : 2007年6月16日<土>22時18分

アイコン
双眼鏡2つを肩にかけて歩いていると、注目を集めるんですね。例えば男が女装をして、
口紅をつけていると、これは異様ですが、理解はされます。ところが、双眼鏡2台は、
異様でなくとも理解されないという事態なんです。
この辺が、地方都市の限界といいますか――えっ、トーキョーでも同じですか?

で、とにかく急き立てられるように、西独ツアイス「8x30 B/GA T*」で、また玉藻公園の
お濠をのぞきこみました。
(B は Brillenträger で、「メガネをかけての使用も可能」という、今では当たりまえの
スペックを表しています。
GA は、Gummi Armierung で、ショックを防ぐゴムで覆われていることを表し、T* は
ツアイスご自慢のコーティングが、施されているということです)。

日陰だったせいか、第一印象は、しっとりとした過不足のない描写です。
ニコン「8x30E II」と違い、水ではなくその下の魚に、注意がいきます。ヒレの青さは、
淡いままにより鮮やか!
このツアイスは、対象をきれいに、鮮やかに引きたてる方向で、対象のリアルさを出します。
けれどもそこには何か省略があって、いわゆるクソリアリズムからは離れます。

だから例えば、池で死んだ魚が膨張して浮いているのを、これで見ても、その後の食事が
まずくはならなかったです(よかった〜)。
また、4〜5m 先の青サギでは、ギョッとして(約 50cm の距離で見た計算になります)、
こいつはやっぱり恐竜の子孫だと思ったのですが、恐怖心にまではいたりませんでした。
(近所の川で、夜の街頭に照らされた青サギを、ツァイス・イエナ社「10x50」で見ると、
ビビリます。向こうは肉食ですが、こっちは雑食ですから)。

とにかくツアイス「8x30」で見る生物は、生気や存在感があって、ときにはハッとする
美しい瞬間も出現します。また、スズメやカメなんかでも、興味深くのぞけるのは大した
ものです。

ところで、ニコン「E II」の色が「すこし薄い、白っぽい」というのは、やはり本当でした。
最初に「E II」を手にとって風景をみたとき、おやっ、という違和感がおきたのは、それが
原因だったのでしょう。
しかしこれが、欠点とまでいえるのかは疑問です。「E II」だけを見ている分には、不満を
感じないのですから。スズメを見ても面白くないのは、もともとスズメはそうしたものだから
です。

平凡な結論で恐縮ですが (^^; ――それぞれの機種の特徴をいかして使っていけば、
いろいろと楽しいのではないかと・・

追記 玉藻公園内の展示館にある藤原佐理(すけまさ)の書は、若書きとはいえ国宝だけあって
必見。とはいえ、千年昔のものにもかかわらず、書かれた用紙に汚れやしわが皆無なので、できの
いいコピーのようです。
(展示説明には、コピーの件はありません。本物は、お隣の香川県歴史博物館にある?)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=47481

いずれにしろ、見る位置が作品とは離れているので、双眼鏡の出番です。広角で明るい「E II」が、
ぴったりでした。
 
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は〜い☆Res:takin  題名:その後の使用感
投稿日 : 2007年6月17日<日>22時18分

ニコン「E II」で少し残念なのは、植物の観察では:

花を見たとき、まわりの緑の葉が漂白されたような感じで、葉が浮いて見える
ことがあります。草花が妙に明るっぽいように、感じるときがあるのも、色乗りが
今一つのせいなんでしょうか? 
総じて、パースペクティブに違和感を感じるときがあります。つまり、心理的に
引っ込むべきものが、出っ張ってくるというか・・

しかしこれらも、ツアイス「8x30」に目が慣らされているせいかも・・やがて
ニコンにもなれてくるのかな?

しかし双眼鏡というのは、買った後が大変ですね。住宅街では、ケースから出して
下げているだけでも、大人の場合は「危ない」です。
郊外に出ても、人家がちらほらあれば、木や鳥を見ていると、地元の人からチェック
が・・
色とりどりの満天の星なんてのは夢物語りで、町の空はいつまでも照明で明るいです。

近場の鳥を見るのも、正直飽きましたが――
スズメ、ツバメ、ハシボソガラス(ふつうのカラスで、嘴の細い方)、
トンビ(のんびり飛んでいるようでも、ワシタカ科なんですね)、
ドバト(一番ふつうのハト。でも悲しい歴史を背負っているようです。
野鳥図鑑には載っていないことも)、
アオサギ(飛ぶときの声がまたすごくて、ゲァー)、
マガモ(やっぱり動物は草食か肉食かで、ぜんぜん違います。愛い奴です)

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